読書メモ16
目次
まえがき
細かく厳密な議論よりも、まずは「ゲーミフィケーション」という現象がなにであるかを示すことを目的としている。(80)
ゲーミフィケーションはゲームの考え方やデザイン・メカニクスなどの要素を、ゲーム以外の社会的な活動やサービスに利用するものとして定義される。
こうして、2011年に「ゲーミフィケーション」という言葉はウェブ2.0、マッシュアップ、クラウド、フリーミアム…これらに続く新しいテクノロジーの流行語に登録された。
バッジやレベルを設定するだけでゲーミフィケーションになると言うつもりはない。
1 ゲーミフィケーションとは何か
ソーシャルはゲームへ
明確なゴールの設定はゲームを昨日させるうえでもっとも使いやすいテクニックの一つだ。(227)
ゲームソフトというパッケージは「ゲーム」という現象を機能させるためのメディアに過ぎず、「ゲーム」という現象そのものは、私たちの日常に遍在している。
ただし、「ゲーム」という現象は「物語」よりも少しやっかいだった。口では簡単に伝えられないし、同じ「ゲーム」を再現するためには、ゲームプレイヤー同士の実力がある程度まで拮抗していることが必要だ。
そして、「ゲーム」はソーシャルメディアよりも、一見すると社会的な意義がわかりにくいものだった。「ソーシャル」は、人間の居場所を確保したり、関係性を構築したり、社会運動を形成するパワーになるというイメージがすぐできた。
今まではそうだった。
しかし「ゲーム」を立ち上げるための条件は、この10年で大きく変わった。人にさまざまな形でフィードバックを与えることができるようになり、また以前よりもそれらを低コストでつくることができるようになった。(325)
そのテクノロジーの総体が「ゲーミフィケーション」なのである。(336)
ゲーミフィケーションの誕生
ゲーミフィケーションのかんたんな定義は「ゲームの要素をゲーム以外のものに使う」ということだったが、その言葉が含む範囲は曖昧模糊としたところがある。それだけゲーミフィケーションという概念の範囲が広いということだろう。(337)
(テレビのニュースは)
分かりやすく伝えたい「物語」を求めている。つまり、マスメディアでは「物語」があることによりニュースはスケール=拡散する。(420)
ゲーミフィケーションを考えるのであれば、一回の行動の後に、二回目、三回目、四回目…50回目の人の行動を考える必要がある。情報の拡散だけでは、人は繰り返し動かない。何度も繰り返し動くための仕組みを用意する必要があるのだ。(522)
(ソーシャルゲームは「ソーシャル」のアクティブ率を高めた)
第一の理由は、ゲームがコンピュータと結びついたことによって「コンピュータが一人遊びの相手をしてくれる」
第二の理由は「一度」で終わらないゲームというメディアの特徴にある。ゲームは何度も何度も繰り返し遊ばれるものだ。(532)
連続して、少しずつうまくなっていたり、キャラクターが成長していく。その過程こそがたのしいのだ。繰り返し遊ぶ、そのことにこそゲームの強みはある。(546)
ゲームのもう一つの特徴に「飽きる」という現象がある。ただし、この「飽きる」ことの速度も、「物語」や広告キャンペーンが消費される速度に比べばもう少しゆっくりしている(546)
飽きを極限まで少ないものに設計することもできるが、それをしてしまうと「依存」と判断がつかなくなる。(例,パチンコ)
「ゲーム」で顧客との関係性を維持する
ゲーミフィケーションという手段はやはり革新的な意味を持っている。その主たる点は、顧客に対してパーソナルに関係性を築くことができるということだ。(572)
外発的動機づけとは報酬や罰を理由に動機づけられることを指す。一方、内発的動機づけはその逆に外部からの報酬や罰によってではなく、自らの活動それ自体に動機づけられることを意味している。
この区分を理解しておくことは、ゲーミフィケーションを考えるうえでとても重要だ。ゲーミフィケーションとは、外発的動機づけとの境界線的な要素(報酬)を求めるうちに、内発的動機づけを駆動させるようなメカニズムだと言っていい。(604)
貨幣を介して行動を促進することがゲームでないとは言わない。しかし、それは貨幣を介さないゲームとは、もはや全く別物である。
たとえば、金銭による外発的動機づけで何かを成し遂げる場合、目的となる金銭が与えられれば、その「何か」は終わってしまう。(628)
「ポイント制」はゲーミフィケーションそのものではない
ゲーミフィケーションではゲームそのものをつくらなくてもいい。
潜在的にゲームであり得るものは「ゲーミフィケーション」の最も周辺、その外側に位置している。世の中にはゲームになり得るものに満ちているのだ。しかし多くのものがゲームとして形になることに成功していない。(727)
ゲーミフィケーション・インパクト-ゲームがビジネスを変える
たとえば、山登りのことを考えてみてほしい。山登りは頂上まで登ったら制覇だ。もちろn、途中で登れなくなることもたくさんある。あおの頂上に至るまでの第何ポイントまで登れたかというのが、山を制覇したということの基準になっている。山登りには、ミッションのゲームに似た全体像がある。こうした全体像は「こういう手順でプレイしてクリアできる」というゲームプレイの指南そのものだ。(852)
ゲーミフィケーションがすすんできた理由の一つとして、利用者が日常の時間のなかのでこどえも、はやく強いフィードバックを得られるようになったということを挙げたい。ゲームにとってフィードバックは欠かすことのできないものである。
ディズニーリゾートは、顧客満足度を上げるためには従業員満足度を高めておく必要がある、との考えから、こうした形で従業員に対する満足度を高める方策を数多く行っていると言う。(1110)
「ゲーミフィケーションは仕事を不まじめに、ふざけてたのしむということではない。人の本性に訴えかけて、人を動かすための仕組みだ」(1176)
ゲーム環境の拡大-空間、時間、人
2012年現在において「ゲーミフィケーション」という言葉がにわかに注目を浴びはじめ、広がりはじめた背景は、ただ単にゲームが人のさまざまな社会活動にとって効果的だということだけではない。ゲームを日常生活のなかに持ち込めるようになったというのが大きな意味を持っている(1245)
ストップウォッチは18世紀初期に発明されたが、1896年のアテネオリンピックでは、公式記録はまだ目視によるものだったという。当然、コンマ数秒の記録を測ることは大変だった。(1272)
ギネスがあれば測ることはゲームになる
「測る」テクノロジーが登場しただけで、人々はゲームをはじめてしまう。(1282)
ライフログはゲームにするとたのしい
逆に、ゲームにしやすいのは数量としてカウントしやすいものだ。ソーシャルゲームは、「友だち」の数を数値としてカウントできるSNSというプラットフォームの上でこそ、初めて機能した。
これらでゲームをつくるときに重要なのは、一言で言えば「裏が取れる」ことだ。(1352)
「測るテクノロジー」以外にも「ゲーム」が日常的に浸透するために重要な役割を果たしたことがある。それはインターネットに流れる「時間」が速くなりはじめたということだ。(中略)もっとも重要なのは「いつでもゲームの結果を確認できる」ということだ。(1428)
フィードバックの速度が遅いということや、今の自分の状態が確認できない時間が長いことは端的にモチベーションを低下させる。(1443)
2 ゲーミフィケーションを考える
ゲーミフィケーションの実践のために
Step1:着想
第一は、すでにある行動をベースにアイデアを着想する方法
第二は、新しくゲーミフィケーションを立ち上げる方法
ゲーミフィケーションによって何を達成したいのか、ゴールは何か。そして、導入することで何ができるのかといった点について予め考えを深めておく必要がある。(1601)
- 関係性の強化:ゲーミフィケーションが大きな強みを持つと考えられれている分野の一つは顧客との関係性の強化や、サービスの継続性を挙げる仕組みだ。顧客との関係性を強化するためには、顧客のどういった行動を変えることが必要なのだろうか。
- フィードバックの可視化:フィードバックを強く、はっきりと示すことは、プレイヤーのモチベーションを上昇させることに大きく貢献するだろう。
- ハマる行動の分析:ハマるまでのプロセスのなかに、何かヒントはないだろうか。プロセスの要素を分解してみよう。
Step2 :つくりあげる
一つはプレイヤーがゲームを楽しむ順序の設計。もう一つはゲームのルールなどのメカニクスの設計だ。(1668)
コンピュータ・ゲームとボードゲームの違いを考える時、重要なのはプレイヤーがたのしむための「順序」なのだ。プレイヤーがスムーズにゲームをたのしめるかどうかがゲームやゲーミフィケーションをつくりあげるための鍵となる。「ゲームのルール」と「ゲームの魅力」の二つを、強制されていると感じさせることなく、ゲームをつくる側が意図した順序でたのしんでもらうための手法。これこそがコンピュータ・ゲームが蓄積したノウハウだ。
たのしみの「順序」をつくるための代表的な手法として「アンロック」と「レベルデザイン」の二つを見ていこう。(1727)
- アンロック
「アンロック」はゲームだけに存在する特別なものではない。かなり近い手法が教育の場でも用いられている。(中略)「アンロック」の手法は、段階的にステップアップをしていくという意味でこれと同じ考え方だ。ただし、教育とゲームでは違いがある。算数の授業では、この次にはこれを学ばなければならないといった「義務」として、新たな課題が与えられる。一方、ゲームの「アンロック」は新たに何かができるようになったとき「あなたはレベルアップして強くなったので、こんな新しいことができるようになりました」といった「獲得」として、新たな技能が追加される。
「義務」ではなく「獲得」として演出することにより、プレイヤーは徐々に自分が強くなっていったかのような感覚を持つ。「獲得」という報酬を与えることでプレイヤーをうまく誘導できる。(1751)
「アンロック」は、かんたんに言えば、まず「これがたのしいですよ」と言われてゲームが始まり、ゲームをプレイするなかでできることが少しずつ増えていく手法だ。
2.レベルデザイン
ゲームにおけるマップのデザインを通じてプレイヤーに暗黙のうちに意図した行動を行ってもらうための一群の手法のことだ。(1786)
(スーパーマリオを例に)
このように「覚え」「学び」「応用し」「極める」というマリオをジャンプさせることを学ぶプロセスは、プレイヤーに意識させることなく、マップの中に周到に順序立てて配置されている。これこそが「レベルデザイン」という手法そのものだ。
プレイヤーがゲームに対してより能動的にプレイしてゆくときの「上達の実感」や「適度な手応え」は、「レベルデザイン」という方法論によって実装されるのだ。(1815)
ゲームのルールやアルゴリズムなどをまとめて「ゲームのメカニクス」と呼ぶ。
1.ランキングを導入する
プレイヤーが「自分はプレイがうまい」と感じるような有能感の設計に失敗すると、ゲームはとたんにつまらなくなる。
2.お金の力をゲームに持ち込む
プレイヤーがお金を使った場合の効果をどこまで見せるか、また、どのように見せるかということのメカニクス調整は、かなり注意深く行われていることを知っておくべきだろう。
3.クイズを出題する
クイズがゲームとして機能することはあるのだが、クイズそれ自体がゲームになるわけではない。これは多くの教育用のゲームが陥りがちな罠である。ゲームとしてそれまでメインでたのしんできたことと無関係なものとしてクイズをやらせる場合は、そもそもプレイヤーにやる気があるかどうかがかなり微妙だ。
4.強制する
「競争させればゲームになる」と思っている人も多いかもしれない。たしかに、競争はゲームとしての要素を持っている。(中略)だが、そもそもやる気のない人や、どうやればうまくプレイできるかをわかっていない人を相手に、単に「競争しろ」と言っても競争が成り立つものではない。
様々な手法
①ほどよい挑戦の感覚をつくる仕組み
- アンロック
- レベルデザイン
- 難易度の自動調整
②フィードバックをより強く演出する仕組み
- フィードバックを短くする
- フィードバックの明示化:バッジ、レベル、ステータス
- 錯覚的な演出:有能感を感じられるように演出する。ポジティブな情報だけを派手に通知するなどといった工夫。
③フィードバックのバリエーション
- 緩急効果:やや難しい状況と、ややかんたんな状況が交互に繰り返すようにする仕組み
- 音楽や映像のバリエーションの追加⇒飽きを防ぐ
- イベントの開催
④メカニクスの調整
- 「ズル」の応用
- 「ズル」の阻止
最後に重要になるのは、仕組みを複雑にすることではなく、何を取り入れ、何を取り入れないかを決めるプロセスだ。もっとも重要な仕上げのプロセス。それが「洗練」のプロセスである。
Step 3:洗練させる
①テストプレイ
できることならば、うまくいくかどうかを調べるためのかんたんなお試し版をつくり、まずは誰かにテストプレイしてもらうとよい。
②リリース後
プレイヤーはゲームを何かしらの「ズル」で切り抜けようとすることがよくある。あるいは、ゲームが想定しない形でプレイされてしまい、本来プレイヤーにしてもらいたいことを実際にしてもらえないということはよく起こる。
ゲーミフィケーションとその論点
ゲーミフィケーションに典型的な3つの問題を取り上げたい。設計者の偏りの問題、プライバシーの問題、そしてズルの問題だ。
①設計者の偏りーそのゲームは誰にとって楽しいゲームなのか?
大目的は焦点を絞りつつも、それを達成するための評価されるべき項目を一つにせず複数にするなど、細かい対応や工夫が求められる
②プライバシーーパブリックとプライベートの境界線はどこにあるのか?
ライフログを扱うことがおおいゲーミフィケーションではプライバシーに対する一定の配慮が必要だ。
③ズループレイヤーと設計者の目的のズレ
ゲームをリリースした後もユーザーの行動を常に追跡し、どういった「ズル」が行われるかを見つつ、ゲームの仕組みを柔軟に修正していく他ない。
多様なゲームの可能な社会へ
「ゲーミフィケーションの何が新しいのかわからない。世界にはゲーミフィケーションなどという言葉を使わなくとも、すでにたくさんのゲームが日常の中に溢れているではないか」という人がいる。(中略)
間違ってはいない。たしかにゲームはすでにある。
しかし、そこにはゲームが「ある」だけだ。
われわれはそれらのgameを必ずしもたのしんでいない。積極的に、意欲を持って参加をしているわけではない。いくつかのゲームはリセットを押してやめることもできない。
ゲーミフィケーションの議論はまだ端緒に過ぎない。多くの人がゲームを選び取り設計に関わることのできる社会というものが、一個の社会像の在り方として議論される世界。これが現実味をおぼえてくる未来への第一歩を、われわれは踏み出そうとしている。(2609)